2011年7月31日日曜日

学習してみよう(21:光環現象)

7月31日(日曜日)
 午前中ちょっと買い物に出かけた際、上を見ますときれいな上層雲があり太陽の周りには写真のような<環(暈)>が出ていました。
 この環は、太陽光が雲の粒子(雨滴や氷晶)で屈折し、雲に投影され環状になった虹のことを言います。

 なかなか写真に撮る事は難しく、太陽を何かに隠して撮らねばならないのです。丁度屋根の樋がありましたのでそれに焦点を当て撮ったものです。

 この太陽環が出ますと天気は下り坂と言われています。ちなみに明日の予報では<午前中晴れて午後には曇り所により雨>とのことで、天気は予報通りだと下り坂のようです。

 さて今朝も山からは盛んに蝉の声が聞こえて、<暑くなりそうだ>と言っているようです。体力を付け暑い夏を乗り切ってください。(桜54)

家の管理(51:やっとつながる)

7月31日(日曜日)
 小学校の先生との相互連絡(講義協議)のためアドレスを教えていたのですが、先方からは何度も小生宛のメールは入るのですが、小生からの発信メールは受信拒否されたり宛先不明で返って来たりと、少々片通話で不満気味でした。
 今朝メールを開けてみますとその方からのメールと共に、小生発信のメールを添えて返信がありました。と言うことは、確実に受信出来たことを示しています。
 アドレスの不具合、パソコンの不具合等が重なって数日間片通話の状態でしたが、ようやく本通話が出来るようになり「ほっと」しました。
 通常の電話(携帯も含めて)で相手先が出ないとか留守電になっている場合には、気が気ではなくなる感じではありませんか?やっとつながって話が出来た時には、一瞬の喜びがあると思います。
 今回の場合も、相互間の通話(通信)が可能となりましたので、これから情報交換を行いより良い話が進められると思っています。(桜54)

2011年7月30日土曜日

健康管理(43:皆それぞれ)

7月30日(土曜日)
 昨夕は女房殿の母上が(病院からの帰りに)体調不良で自宅に帰るのを躊躇われたので、小生宅別家にてお泊りされました。
 その折、別の方に事情を話すべく連絡を入れたところ、その方も10日ほど前急に腰痛発症で動けなくなり入院されているとのことでした。
 何れも高齢であることや一人住まいのため<不安を隠せない>などの理由で、入院やお泊りとなったのでしょう。
 小生昨日は腰の状態がまあまあ良く孫を連れて畑を見に行ったのですが、今日は昼前から腰痛が出て午後からの会合を欠席しました。会長にその旨を伝え休養するつもりです。
 年齢を重ねるに従って、体調不良の時間と回数が増えるようです。小生自身もある程度管理はしているつもりですが、昨日のように小生より体調不良の方がいますと、どうしてもその方の介護などをしなければならないので<無理>をするようです。
 これからは、益々高齢者同士がお互い助け合わねばならない時代となりました。(桜54)

防災を考える(39:電話)

7月30日(土曜日)
 人の言葉を伝えるのに<電話>という便利なものがあります。
 100年以上前、グラハムベルによる電話の発明で一躍連絡手段が向上したのですが、近年では有線から無線へと移行し、誰でも携帯電話で通信が出来るようになりました。
 仙台様も書かれていましたが、その昔は各町内に1台は必ず<公衆電話>という電話機があって、家庭にはまだ普及していなかった連絡手段をカバーし又非常時等の通信手段でしたが、近年では急速にその数が減少し宇和島市内で見ることがほとんど無くなりました。
 ちなみに小生宅が商家を営んでいた時には、電話設置の家庭が少なかったことから<公衆電話>の活躍が多くありました。
 テレホンカードというカードが普及し、現金を入れなくても電話を掛けるという画期的な出来事はもうすでに過去のものとなりました。
 災害時には<公衆電話>が最も有効な手段です。携帯電話はパンク状態となり、また一般電話の使用制限があったりで通信手段がほとんどなくなるのです。
 小生が<芸予地震>に遭遇した時でも、携帯電話で直ぐ職場(気象台)に連絡を入れようにも全くつながらず、とうとう家庭に帰ってからやっと職場と連絡が付き出勤した事実がありました。
 電話は便利な半面、災害時には繋がらないという事実もありますので、非常時の連絡方法も考えておく必要がありそうです。(桜54)

2011年7月29日金曜日

畑の管理(19:孫を連れて)

7月29日(金曜日)

 先日畑の管理者から馬鈴薯の件を聞いていたことと、孫たちの蛙捕りのお付き合いで久しぶりに畑に行きました。

 畑には家から出た雑物を持参して散布し、馬鈴薯を少し試し掘りをしました。しかし掘れた馬鈴薯はまだ十分育っていないような感じでしたので、まだしばらく置くことにしました。

 さて上の写真は芋を植えた場所(畝)ですが、右半分が先月末女房殿と行って草抜きをした畝、左半分がまだ手を付けていない畝なのです。その所は草丈40cm余りと、どこに芋苗が植わっているのか分らないくらいでした。


 また周辺の田んぼでは、早くも稲穂に実が入りつつあるのか頭を垂れかけたものがありました(写真下)。早い稲では8月中旬から下旬には刈り取りとなりますので、もう間もなく実りの秋を迎えそうです。

 さてその畑の管理については、1か月の間に草伸びが40~50cmありましたので周辺の田んぼの畔道同様早く草刈りをしなければならないでしょう。

 孫たちは畑の中や小川で蛙を捕まえていましたが、小さな蛙3匹を捕まえたに過ぎません。すばしこいですね!

 あと1カ月少々で新米が食せます。また馬鈴薯や芋の初収穫も間近となりました。待ち遠しいですね!(桜54)

学習してみよう(20:夕焼けは晴れ)

7月29日(金曜日)
 昨夕、異常に赤味のある夕焼けが見えました(写真)。
 その夕焼けには必ず意味(条件)があるのです。昔からの諺に<夕焼けは晴れ>というものがあり、気象学的にも証明されているのです。
 すなわち夕焼けになる条件として、<太陽光>、<空気中の水分量>、<太陽光の屈折角度>、<西方の雲の有無>など多くの条件が重なってこそ夕焼けが出来るのです。
 特に写真のような<異常に赤味のある夕焼け>は、かなり条件が整わないと発現しないようです。
 昨夕の夕焼けは、日の入り後数十分後なので<ほんの瞬時の出来事>でした。たまたま手元にカメラがありましたので撮影できましたが、5分も違えば出来なかったと思います。ラッキーでした。(桜54)

2011年7月28日木曜日

畑の管理(18:収穫?)

7月28日(木曜日)
 先日、畑の管理者から連絡が入りました。
 小生が管理者から受けた馬鈴薯(種イモ)を植えてそれに花が咲いたことまでは知っているのですが、その後の様子を見に行っていなかったのです。
 先日の連絡では、「花が咲いた後葉が枯れ始めた」とのことなので、もうそろそろ収穫の時期ではないでしょうか?
 同時期に植えた別の場所では花は咲いたものの葉が枯れていませんので、まだまだと思っていたところです。
 でもこのところ天気不安定と小生の腰の状態が芳しくありませんので、もうちょっとだけ延ばしたいと思います。腰の状態は何時も不安定なので、時間的余裕が出てくる来週にでも行くつもりです。さてどのような収穫量になっているのでしょうか?楽しみです。(桜54)

学習してみよう(19:ようこそ先輩)

7月28日(木曜日)
 昨日、小生の母校である<明倫小学校>へ行きました。
 昨年度は国(事業仕分け作業)の予算削減で<理科支援事業>が実施されませんでしたが、今年度は県の予算で新たに<ときめきサイエンス>という事業が始まり、小生にも参加要請があり登録していました。
 1学期の段階では、年度当初ということでなかなか<参加要請に応える>という事が出来ませんので、2学期以降であれば<何とか都合が付く>と希望を出していました。
 昨日午前中連絡が入り、午後から担当教諭と打ち合わせを行いました。
 小学5年生を対象に<気象>や<桜観測>についてのお話をしてほしいとの内容で、講義期日は10月下旬を予定しているそうです。10月中頃までは祭り等で出入りがありますので、それまでには資料を作成し双方で検討しなければなりません。
 明倫小学校は明治時代からの学校で、母上殿も小生もまた小生の家族のほとんどの者が同校の卒業生又は在校生なのです。さらに小生が職業に就いたきっかけも、この学校での活動が元だったのです。
 タイトルはNHKのものですが、放送はありませんので悪しからず!(桜54)

2011年7月27日水曜日

防災を考える(38:2年目)

7月27日(水曜日)

 明倫校区連合自治会では、昨年度に引き続き今年度も<津波高標示板>の設置を行いました。

 朝9時業者によって設置番号順に取り付け工事が始まりました(上の写真)。それに合わせ地元ケーブルテレビ局の取材もありました(下の写真)。

 今回の設置場所は校区でも海岸寄りにある地域で、工業団地となっている地域や、新興住宅が立ち並んだ地域なのですが、いずれも海抜高度は低く平均海面上2m前後の場所なのです。

 今年3月東北太平洋沖地震により、東北から関東に至る広い地域で大津波が押し寄せ多大の被害が発生したことによって、宇和島地域でも関心度がかなり高くなってきています。

 つい先日国土交通省の標高表示が、また行政での津波高標示板の設置が、さらに今回明倫校区自治会の津波高標示板の設置で、かなり地元住民の目に触れる機会が増えたのではないでしょうか?

 小生たち明倫校区自治会では、来年度も地区内で低地の多い町内や、地区住民が多く住んでおられる地域を中心にこの<津波高標示板>の設置を考えて(予定して)います。

 5年計画で約100箇所設置が目標ですが、新たな防災(減災)を目標に他の事象も進めたいと思っています。(桜54)

健康管理(42:薬のせい?)

7月27日(水曜日)
 今日は不安定の天気予報で雨の降る確率が40%となっていますが、津波高標示板の設置作業が実施されます。
 さて今朝早く(04:50頃)突然電話が鳴りました。女房殿の母親からで、「不穏な音があちこちから聞こえる」との内容でした。
 その母親は1カ月余り前からある医院にかかり、<精神安定剤>のような薬をもらって飲んでいるのですが、どうもそれ以後情緒不安定となっているのが日毎に度を増しているような感じなのです。
 (素人考えでは)<薬のせいではなかろうか?>と思う様になってきました。というのは、薬を飲む前の精神状態と、薬を飲み始めた後の精神状態にやや違和感があるのです。通常ならば平行線をたどるかやや改善の兆しがあるのですが、どうも平行線以下で加速的な状況が見られるのです。また波のあった症状も、今では沈んだままの症状でしか映らないのです。
 まあ素人考えなので、今のところ<今後どうするか?>を決めかねています。(桜54)

2011年7月26日火曜日

防災を考える(37:広報活動)

7月26日(火曜日)
 いよいよ明日(27日)、明倫校区内に第2回目の<津波高標示板>の設置が始まります。今年度も20個所の設置を予定し、昨年暮れより調査や資料作り、また関係会社及び行政への申請、さらに印刷会社や工事業者などへの依頼とかなり長期間の時間を費やしました。でもようやく明日で今年度の作業が一段落します。
 報道関係並びに各自治会等への広報活動を先日から開始しました。自治会への広報は<回覧>という手段がありますのでそれを利用しますが、報道関係へは<投げ込み>という手段はあるものの、今年度は行政からの依頼を中止し別ルートで実施しました。
 今年3月の東北太平洋沖大地震に伴い、大津波が東北から関東にかけ押し寄せたことから、明倫地区住民の意識は調査の段階からかなり高く持っておられました。
 そういったことで明日の津波高標示板の設置以後は、住民の方の見方が違ってくるのではないでしょうか?(桜54)

桜つれづれ日記(51:不用品?)

7月26日(火曜日)
 朝からセミの声がうるさくなってきました。今日も暑くなりそうです。
 さて小生宅では小物類の購入は我が女房殿が行いますが、あちこちに不用品らしき物が数多くあります。
 例えば、プッシュ式の液体洗剤を置いたり、ガラス吹きに使用する洗剤があったり、またガラスモップがあったり、タンスの中には敷き物があったりと、小生から見れば<あまり必要でない>と思われるものがあるのです。
 わざわざ金を出して買わなくても代用品で結構出来るのです。石鹸や新聞紙など使えば結構いろいろな代用品が出来るのです。また竹竿やタオルなども用途範囲はいろいろあるのです。
 そういった利用可能なものよりも、すぐさま利用出来たり簡単なものを使ったりと<便利さ>を求めているきらいがあります。
 物は工夫次第でいろいろな物に代用出来たり、また新たな発見があるのです。人間は考えて(工夫して)こそ前進するものです。(桜54)

2011年7月25日月曜日

健康管理(41:ご近所様の死)

7月25日(月曜日)
 小生が退職してからもう6年の月日が経ちましたが、ご近所様の逝去が相次いでいます(十数人)。今のところ全ての人が小生と同年輩かそれ以上の方なので、まあまあと言えばそれまです。そのほとんどの人が高齢となられ、健康を害して入退院を繰り返しておられる人がほとんどなのです。しかし交通事故死や不慮の事故など、若くして逝去される方は悲しみはひとしおです。
 先般親戚の方が亡くなられましたが、長年病院生活や介護施設に入られていましたが本人の意識は定かでなく、介護される身内の方の存在すら分からない時もありました。2か月前逝去され、家族の方は肩の荷が降り、(ある意味では)ホッとされたのではないでしょうか?
 人の死はそれぞれあり一概に言えませんが、小生自身は<延命治療はしなくて良い>と言っており、また<臓器提供も可>とも言っています。
 <人の死は次の世代に引き継ぐ>という考えを持つのはどうでしょうか?(桜54)

桜つれづれ日記(50:視点を変えて)


7月25日(月曜日)

 昨日で<うわじま牛鬼祭り>が終了しました。参加された方、また見物に来られた方お疲れ様でした。

 さて小生宅からはいろいろなものが見えますが、今まであまり気に止めていなかった事象をご紹介します。と言ってもありふれたものなのですが・・・。

 最初の写真は小生宅窓から撮ったもので、周辺で取り締まりのためパトカーが待機している写真です。パトカーの上部には上空からでも識別出来る数字が書かれていますので、ちょいと珍しいのでカメラでパチリ。

 下の写真は最近国道に書かれている数字ですが、初めのうちは「何が書かれているの?」と不思議でしたし、また「何のため」と感じたのですが、最近その数字の意味がようやく判りました。国道の起点からの数字のようです。

 国道56号線は、高知市を起点とし松山市に至る約300kmの国道なのです。数字は高知市からの距離数を示し、この付近は高知市から約200km、松山市まで約100kmの地点なのです。

 こういった日頃見慣れた景色でも、ちょっと読みを深くしますと面白い発見がありそうですよ。(桜54)

2011年7月24日日曜日

家の管理(50:ついにやってきた!)

7月24日(日曜日)

 今日は<うわじま牛鬼祭り>最終日です。午後からは親牛鬼のパレードがありますので、ぜひご覧ください。

 さて本日正午、アナログ放送が終了しデジタル放送に全面切り替えとなりました。

 小生宅では7台あるテレビを6台にし、そのうち4台は数年前から新型に買い替えを行っていました。また1台は切り替え機を使用していますのでそのまま継続して見ることが出来るのですが、もう1台(2F客間)のテレビは未だ切り替え器を買っていませんのでもう見えなくなったのです(写真参照)。

 近日中にその器具を買うつもりでいますが、5,000円前後するそうなので当面はそのままにしておき、客が来る前に購入するつもりです。


 さて新聞によりますと、未だそういった事実を知らない世帯が10数万世帯あるそうなので、しばらくの間は放送局や電気店への問い合わせがあることでしょう。

 まだまだ先の話と思っていましたが、7月に入って画面上に出て来る数字が急速に少なくなりました。特に1週間を切った数字は1度に2日ほど少なくなった感じでした。(桜54)

宇和島を知る(39:我が家から)

7月24日(日曜日)
 今日正午でテレビ電波は地上デジタル化され、今までのアナログ放送では見えなくなります。皆さん対応はお済ですか?
 さて<うわじま牛鬼祭り>は本日最終日(牛鬼パレード・走り込みなど)を迎えますが、昨夜の花火は小生宅2Fからもバッチリ見えました。女房殿は母上殿を車椅子に乗せ玄関脇から見物しましたが、通りにある家々の隙間からしか見えていませんでしたので、ちょっと迫力に欠けました。周辺の方は、集会所付近まで行って見られた方があるそうです。子供達は義息の親元(打ち上げをする近く)で見たそうです。
 また今夜も花火打ち上げがありますが別の場所(天満山)からとなり、昨夜と違った部屋から見るつもりで今夜も楽しめそうです。でも、小生宅の裏山が反射板のような役目となって、花火打ち上げ数秒後に<ド~ン>をガラスが響くほどの音となって一瞬恐ろしさを覚える時もあります。
 小生が高知県清水測候所に勤務していた時には、宿舎正面で花火の打ち上げがあってかなり迫力のあったことがありました。
 花火は夏の風物詩として日本人には欠かせないものです。各地で繰り広げられる花火大会へは、お近くの方はぜひご覧ください。(桜54)

2011年7月23日土曜日

補導と指導(37:祭り警護)

7月23日(土曜日)
 <うわじま牛鬼祭り>第2日目で交安協市内支部連合では、市内各所で祭りの警護に当りました。
 小生たち明倫支部では、市内の要所である恵美須町交差点で夕刻より立ち番をし、祭り見物や祭りに参加される人及び車等の交通整理にあたりました。
 今年も多くの踊り連が参加され盛大でした。勿論小生の娘が務めています病院関係の連もあったのです。
 写真の(胴体の後ろ半分しかありません)牛鬼は、青年会議所の若者連が担ぐものですが、尾の部分(剣と言います)が本当の刀のように作ってあり、しかも刃先を上にした形状でしたのでカメラに収めました。
 そういった出し物や踊りを見物する客もかなり居ましたので、小生たちは最終組が出るまで警護を続けました。何事もなく終わったのですが、ただ若者の信号無視の行動が1件ありました。残念です。(桜54)

桜つれづれ日記(49:こだわりと・・・)

7月23日(土曜日)
 今日は<うわじま牛鬼祭り>本番で、今夕小生は、<うわじま踊り>等の警備に出動します。
 さて小生は毎日、ある事(作業)は必ず実施するようにしています。
 朝起きてからの雑用的作業はもちろんですが、階下に降り塩水でうがいをし、鯉の餌やり、脱水槽から洗濯物を取り、風呂場の戸を開け、倉庫内でゴミの整理をし、外に出て家の周りの掃除をし、裏家の点検をし、その後洗濯物と新聞を2階に上げ、口にチャイナマーブル1個を押し込め、最後に新聞を隅から隅まで読み、パソコンを立ち上げるのです。
 そういった一連の雑用的作業と共に1日が始まるのですが、朝起きが20分ほど違うと(遅いと)その作業の一部が欠けるのです(早い時は変化がありません)。一種の<こだわり>でしょうか?
 またパソコンを開示する場合でも、ある程度順番を決めています。最初にレーダー画像で現状を確認し、宇和島の気象資料の確認、天気予報の確認、さらに地方の新聞記事を読み、知人のブログを開示し、それらで仕入れた情報等をブログの一部に書き込むのです。
 その流れが自分自身でもおかしくなる時があります。「何でそのようになるの?」と自問自答しています。(桜54)

2011年7月22日金曜日

防災を考える(36:設置許可)

7月22日(金曜日)
 行政の2課の申請許可が下りましたので、さっそく工事業者へ設置依頼に行きました。
 行政への申請は昨年度より遅く、また審査期間も長かったのでかなりの時間を要しました。設置業者の工事日程も既に決まっていましたので、気が気ではありませんでした。が、何とか(今月中で)間に合いました。
 今年度は、調査段階で他の町内を組み入れて(間違って)いたこと(→再調査をした)、他の電柱管理会社も入ったこと(→申請箇所が増えた)、小生の健康の問題、更に天候不順等で当初予定よりも大幅に遅れたのです。
 そういったことで気の焦りが徐々に強まっていたのですが、ようやくこぎつけた事で<ホッ>としました。
 来週には設置工事が始まります。これによって明倫校区内では、合計40か所の<津波高標示板>がお目見えすることになります。
 この秋頃からは、再び来年度設置に向け調査を始める予定です。(桜54)

宇和島を知る(38:いよいよ始まります)

7月22日(金曜日)
 いよいよ今日から3日間、<うわじま牛鬼祭り>が開催されます。
 小生の孫たちも今夕からの<うわじまガイヤカーニバル>に、ある団体の一員として参加する予定です。ここ数年7月に入ってから踊りの練習を開始し本番に備えていましたが、今年は天候の関係と踊りのメンバーがあまり変わらない、ということで練習日が少なくなっていました。しかも孫たちは、その練習日には生憎遠出をしていましたので参加が出来なかったのです。でもとうとう本番の日が来ました。
 つい先ほど親から連絡があり、「今夕参集場所に連れて行ったほしい」とのことで、小生も夕方からは出入りがありそうです。
 明日は<鼓笛音楽隊>や<牛鬼のパレード>また<宇和島踊り>があり、身近な人たちの参加が見込まれています。そのうち孫は鼓笛隊と宇和島踊りに、その親は宇和島踊りに出るそうなので、出来れば見に行きたいのですが・・・。
 まあ小生はその時間帯、アーケード街付近で祭り警護をしていますので見えるかも知れません。明後日夜は、クライマックスがありますよ!(桜54)

2011年7月21日木曜日

桜つれづれ日記(48:今日から新学期?)

7月21日(木曜日)
 小学校は昨日1学期が終了しました。よって今日から夏休みのはずですが、小生宅には孫が今朝から集団で来るようになりました。いわゆる自宅新学期(?)が始まったのです。
 午前中は学校からの宿題や観察、また親から言い渡された事象をそれぞれ行いますが、午後からは4人が集まって遊んだり、また2人が組みとなって遊びに夢中となるのです。時には親が休みになったり、男親の里に行った時には小生宅は休みとなりますので、1週間のうち全員(4人)が集まるのは週3日程度です。それでも小生たちはほぼ毎日、朝から夜まで自由時間が無くなるのです。
 天気の良い日は外で遊ぶことも出来ますが、雨が降ったりしますと家の中なので孫たちは時間を持て余すようです。
 さて今日から始まった<新学期?>は、どのように進行して行くのでしょうか?(桜54)

自治会(8:資源ごみ回収日)

7月21日(木曜日)
 今日は我が町内の資源ごみ回収日です。先月は雨のため紙類の搬出が制限されましたので、小生宅も含めて新聞紙や段ボール紙がかなり溜っているようです。
 さて町内の自治会長は、<何もしない・誰でも出来る自治会長>を目指しておられますが、傍からは「町内のためになっとらん」などの厳しい意見があります。
 今朝のごみ回収時でも、<ごみ回収のために前日には旗を立てる>という以前からの習慣(市からの指導)を完全にぶち壊し、「広報誌に出ているから判るだろう」と全く町内の人の意見を聞き入れないのです。また盗難防止のための立ち番(輪番)もなくなったのです。
 資源ごみの時にはまず最初が肝心で、最初にうまく場所取りや積み上げをきれいにしますと、後の人がそれに従って整理しながら積み上げて行くのです。小生が自治会長になった時住民の方の協力の下整理をするようになって、回収業者から<楽になったよ>とお礼の言葉が出るようになったのですが、今年度はこのままでは元の木阿弥です。
 今朝は小生が最初頃でしたので、下地だけは作っておきましたが・・・。(桜54)

2011年7月20日水曜日

桜つれづれ日記(47:無駄と節約)

7月20日(水曜日)
 小生は現在、年金生活者となって収入金額は限定されています。しかし支出金額はその時々によって変化し、特に夏場や厳冬期にはエアコンの使用量が増えたり、またお盆や正月などは来客等で食品購入の支出が増えたりもします。さらに冠婚葬祭もあるのです。
 そういった季節変化はあるものの余裕は全くありません。小生は、利用出来るものは利用し、また昔の物でも使えるものは使っているのです。でも女房殿や若者の考え方は違っているようです。<便利であれば良い>という発想からか、新しい物を購入したりまた余分な買い物をしたりと、小生自身考えられない行動を起こしています。
 確かに安い物を多く買えば安くつくかも知れませんが、物によっては全て使い切らなかったり、また食品などは賞味や消費期限があるので、<大量に買うのは考えもの>です。
 小生が時々作るものは全て廃物利用しているので、ほとんど購入することはありません。買うとすれば小生自身で作成困難なものだけなのです。
 ものは大切に、利用幅を大きく、角度を変えて利用するなど、<ものは考えよう>で節約出来ると思います。(桜54)

補導と指導(36:強風の悪戯)

7月20日(水曜日)
 台風第6号の動きが遅く、宇和島地方では雨よりも風の影響がかなり大きかったようです。
 その強風の影響で、各所に設置しています交通安全旗等の損傷が目につきました。旗の破れ等は何時ものことですが、竿の折損というのは初めてのことです。
 ある竿は真っ二つ(完全)に分れ、上部はかなり飛ばされていた状況がありました。
 例年台風の接近時には、上部機関から<除去願います>との指示があるのですが今回はその指示もなく、また小生自身も<除去する>という(指示の)考えが無かったのです。
 小生たちの旗管理箇所は、目に付き易い河川脇(道路)や橋が多いため、風の影響を受けることが多いのです。
 昨日の段階では、風の影響で損傷を受けた旗等の数は20本近くに及ぶのではないでしょうか?それにしてもかなり強い風であったと感じています。(桜54)

2011年7月19日火曜日

防災を考える(35:地形の影響)

7月19日(火曜日)
 台風第6号が北上を続けていますが、午後になって少しずつ東寄りのコースをとるようになりました。また中心付近の気圧は960hPaとやや弱まりを見せていますが、まだまだ強い台風です。
 さて台風の北上と共に強い雨域は高知県など太平洋側にかかり、1000mm近い降水量となって土砂災害などの災害発生が懸念されています。愛媛県では雨は降ってはいますが、高知県や他の太平洋側の地域よりもかなり少ない降水量となっています。
 これは四国山地の影響が重要な役割を果たしているのです(紀伊半島では紀伊山地の影響が大きい)。宇和島付近では東寄りの風となって鬼が城山系の影響を受け、降水量は予想よりも少なくなっています。
 こういった地形は、降水量のほか風や気温などいろいろな気象現象にかなり影響を与えています。愛媛県東予地方の<やまじ風>や東北・北陸地方の豪雪、高知県や和歌山県の大雨地帯、関東平野や愛知県付近での高温など、いろいろな地方で気象現象の偏りが見られるのは地形の影響に左右されているからです。
 皆さんの地域でもそれぞれ異なった気象が現われますので、調査や研究されては如何ですか?(桜54)

仕事遍歴(30:大先輩の死)

7月19日(火曜日)
 今朝の新聞によりますと、元NHK気象解説者の宮沢清治氏が死去されたとの記事が出ていました。
 小生がまだ若かりし頃、東京気象庁の予報官であった氏にいろいろと教わったのです。
 小生が室戸岬測候所から、東京気象庁通報課に転勤し天気図を書いていた頃のことです。小生たちの勤務は三交代で3日に1度の夜勤がありました。また予報官の人たちは五交代で5日に1度の夜勤であったことからなかなか会う機会が無かったのですが、休み時間などで気象学についていろいろ教えていただいたり、また天気図の見方なども細かく教えて頂いた方なのです。
 その後度々転勤を重ねて潮岬測候所時代(小生が技術課長時代)に、NHKの取材ということで測候所にお見えになり久々の再会を果たしました。
 NHKの解説では皆さんにわかり易い気象解説などをされていました。しかし晩年は、やや痩せておられた印象がありますので、体調を崩されていたのですね。ご冥福をお祈り申し上げます。(桜54)

2011年7月18日月曜日

防災を考える(34:台風接近)

7月18日(月曜日)
 早朝、女子サッカーの<なでしこジャパン>が日本一となったことで各地で沸いていますが、次には台風第6号が次第に北上し、明日には九州や四国が、明後日には近畿・東海が暴風域に入りそうです。
 今日午後、松山から来ていた妹夫婦が、強い雨域の北上と共に宇和島を離れました。ワイパーを強くしても視界がきかなかったり、また外の音や景色が見えにくいなど悪条件があるとの情報も入ってきました。
 皆さんも、そういった気象条件不安定の中での運転は非常に厳しいものがありますので、注意深く走行する必要があります。
 一方、学校関係では警報発令中は休校状態となりますし、警察や消防等では防災の警戒を強める期間となりますので、小生たちが実施しています<20日の交通安全の日>は日をずらさなければならないかも知れません。
 現在愛媛県南予地方には<波浪警報>や<大雨警報>が出ていますので、沿岸部での高波や土砂災害など大雨に関する警戒が必要です。また明日は暴風警報など非常に警戒を要する情報等が発表されそうなので、進路にあたる(接近が予想される)南九州・四国・近畿・東海地方の方は十分警戒してください。(桜54)

日本の苗字(13:ク-ラ行)

7月18日(月曜日)
 今日は<海の記念日>です。台風第6号が日本の南海上からお祝いに駆けつけていますが・・・。また早朝の女子サッカーで、<なでしこジャパン>は米国を破り初優勝したそうです。おめでとうございます。
 さて上記行では130の苗字を確認していますが、意外と先頭にくる漢字数は多くありました。 
 <黒>という漢字が39姓で最も多く、次いで<倉>で35姓、<栗>で20姓、<蔵>で11姓、以下<久>、<来>、<車>、<九>、<鞍>、<庫>、<呉>、<暮>、<畔>・・・、と漢字数は実に17を数えました。
 <倉>と<蔵>、<黒>と<畔>は意外と同じ使われ方が多くありました。
 <クラ>と発する苗字には、<倉>、<蔵>、<藏>、<久良>があり、また<クルシマ>と発する苗字には、<久留嶋>、<久留島>、<来留島>、<来嶋>、<来島>がありました。(桜54)

2011年7月17日日曜日

宇和島を知る(37:釣り紀行)

7月17日(日曜日)
 昨夕、今度は松山からお客様がお見えになりました。といっても小生の妹夫婦で、里帰りなのです。
 さてその御主人様、小生とほぼ同年輩で釣りなども時々するのです。今回も里帰りのついでに<釣りに行きたい>とのことでしたので、「小生の腰がまあまあであればお供します」と言っていたところ、今朝起きてみますとまあ良い方でしたのでお供することにしました。また小生の義息も同行させたのです。
 今回は底物狙いということで<キス釣り>をすることになったので、以前小生が行っていた場所を順次回ってみました。
 最初は上の写真の場所へ。ここは旧吉田町の宇和島寄りの湾(知永)ですが、最近人が入らないのか道にかぶさるような木々があり、小生の車は横をこすりながら進みました。釣果はほとんどありませんでした。

 次に向かったのは、旧吉田町の玉津湾。この湾のあちこちを探りながら西に向かいました。目的のキスはほとんど当りがありませんでしたが、最終的に行った場所(西予市渡江=写真)でようやく本命のキスが釣れました。また他の魚も次々と上がりましたが、量的にはかなり少なくやや気落ちしました。
 キスは最長27cmくらい、ホゴも26cmくらい、また小鯛やベラ(ギゾ)なども上がったのですが、何かいつもの年よりも少ない感じがしました。と言っても小生は腰を痛めてから釣りに行っていませんので、どのような釣果や魚種が例年なのか最近ではほとんど知らないのです。でも釣り方だけは忘れていませんでした。
 竿の組み立て方、釣り糸の結び方、釣針の付け方、重りの付け方、糸の結び方、竿の投げ方、糸の引き方、魚の合わせ方など・・・。
 帰宅してからも小生が魚の下ごしらえ(三枚に下したり腸を除けたり)をし、何時でも調理できるようにしておきました。
 釣りをしている時は全く腰の痛みを忘れていましたが、帰ってから調理を始めた頃から少し違和感を感じるようになりましたので、これから少し横になり休養します。(桜54)

2011年7月16日土曜日

桜開花観測(57:久しぶりの声)

7月16日(土曜日)
 夕食後、テレビに仙台での祭りの様子が出ていましたので、早速仙台様に連絡を入れました。
 仙台様は一昨年、宇和島の桜観測に1ヶ月間滞在され観測をされた方なのです。また先般の東北大地震津波に遭遇され、かろうじて地震だけの被害に遭われたためライフラインが長期間止まりご苦労なされた人なのです。幸いにしてお怪我もなく御無事で現在も自宅で生活を続けられています。
 その方と久しぶりに電話で会話をしました。小生よりもお年を召してはいますが、小生よりも若々しくまた前向きな姿勢を持っておられますので、震災に遭われましても<戦争直後のことを思えば何くそ!>と勇気ある言葉を発する人なのです。
 今日の電話でも、そのような意気込みある言葉が感じられました。
 桜観測隊の皆様、また関係する行政の方、さらに我々桜観測員にも多大の力を与えて頂きました。有難う御座います。
 来月には、桜標本木周辺の環境管理がありますが、仙台様もご一緒のつもりで頑張りましょう。(桜54)

補導と指導(35:再び盗難自転車)

7月16日(土曜日)
 娘たち(2家族)は昨夜大阪に向け出発しました。
 さて今朝も何時ものように起床後、内回りの点検と用事(鯉の餌やり・洗濯物取り入れ・ゴミ処理等)を行った後、外回りの作業(点検・ゴミ処理・掃き掃除等)を行った時には異常はなかったのですが、2時間後食事のため下に降りた時、車庫前に異常を感じました。
 朝の点検時には無かった自転車があったのです。その自転車を見ますと鍵穴がこじ開けられていました。すぐ警察署に連絡を入れ交番から警察官が来ました。早速本署に連絡を入れたところ<盗難>の可能性が高いことがわかりました。本人からはまだ盗難届はなされていませんでしたが、後刻本人確認の末盗難にあったようです。
 最近の事例として、鍵穴をこじ開ける手口が多いそうです。自転車の鍵などは比較的簡単な作りなので、そのような手口が増えているとのことでした。
 自動車や家などの鍵は次第に頑丈となったりまた二重三重のロックとなっていますのでなかなか開きませんが、通常の物品は比較的簡単な鍵となっているからです。でもお互い気をつけましょう!(桜54)

桜つれづれ日記(46:かわいいお客様)

7月16日(土曜日)
 太平洋高気圧に覆われ夏真っ盛りとなりましたね。
 さて小生宅の池にはかわいいお客様の姿が見えるようになりました。
 一昨年から入れていましたメダカが年々子供産むようになり、昨年も数十匹のメダカが泳ぎ回っていましたが、そのメダカも親となり別の水槽に入れたりもしていました。
 1~2か月前、娘婿が「池の藻にメダカが卵を生んでいる」事を発見。1週間ほど前小さなメダカを見たとの知らせを受けたのですが、小生は全くその姿を見ることが出来ませんでした。しかし昨日、日中の日差し(角度)と共にその姿を確認することが出来ました。
 メダカの親は4cm前後、その子供たちは未だ1cmにも満たない小さな生き物が弱い流れに逆らって泳いでいるのを発見(確認)しました。
 かわいいお客様が、池の住人としてこれから少しずつ大きくなっている様を見届けるのは楽しみです。(桜54)

2011年7月15日金曜日

防災を考える(33:第二関門突破)

7月15日(金曜日)
 当初「昨年より3週間も早く出来そうだ」と思っていたのですが、作成最終段階で校区区割りにより一部変更と電柱管理会社への申請の不備、パソコンの不具合等により徐々に遅れ、現在ではほぼ2週間も遅れているのです。
 そういった経緯ですが、ようやく行政から<申請許可>の知らせが入りました。早速その書類を受けて次の機関(行政の課)に申請しました。しかし最終チェックをしたにもかかわらず書類が一部足りないのです。その書類には署名者の自筆と押印が必要なため自治会長をようやく探し記入していただいて、昼前にその書類を行政担当課に提出しました。
 これで第二関門突破と第三関門に向けの峠越えです。
 来年からは同じような過ちをしないつもりで準備をしますが、もうその頃には今の記憶がやや薄れてくるのではないでしょうか?流れ図など書いて書類ばさみには入れているのですが、その紙すら描いた記憶が薄れるのです。年々ボケる頭や行動をどのようにして活性化させれば良いのでしょうか?(桜54)

家の管理(49:蝉の羽化)

7月15日(金曜日)
 昨夕孫と共に裏庭に行き、蝉がもうそろそろ出て来ないかと観察していましたら、写真のように羽化の最中のものを孫が発見しました。
 毎年梅雨明け頃から、小生宅裏庭で蝉の羽化が始まるのです。昨年は10匹近くの羽化があった模様で、金木犀の葉や小枝に抜け殻がありました。
 今年も数日前抜け殻を発見しましたので、孫を連れて見に行っていたのです。小生は上ばかり気にしていましたが、孫は下の方を見ていて発見したのです。
 このように羽化に出くわすことはめったにありませんので、貴重な体験でした。そのため直ぐ隣の孫(別の孫)も呼んで来て観察をしました。
 蝉は数年間土の中で生活し数か月の地上生活だと聞いていますので、思いっきり暑い夏を経験するよう後は<そっと>しておきました。
 ちなみにこの蝉は<クマゼミ>といい、<シャーシャー>とうるさく鳴くのです。(桜54)

2011年7月14日木曜日

桜つれづれ日記(45:パスワード)

7月14日(木曜日)
 皆さんはそれぞれのパスワードを覚えていますか?
 買い物をする場合、貯金をする場合、ものを請求する場合、支払いをする場合等ほとんどカードで支払い等を行いますが、カード使用には全てパスワードが必要です。また、小生等がやっていますブログ掲載でもパスワードが必要なのです。
 そういった諸々に使用しますパスワードをそれぞれに変更しては、「さてこれはどの物のパスワードだったのか?」と分からなくなる事が多いと思います。全て同じパスワードにすればことは足りるのですが、なかなかそうも行きません。
 数字4桁のものもあれば、英字8文字以内とか、いろいろの方式があるようです。
 先日、小生宛ある会社から<請求のためパスワードが必要です>と言われましたが、数字4桁のものです。これにも生年月日は駄目とか、電話番号や住所の番地は駄目とか、同じ数字の羅列は駄目とかいろいろの制約があるのです。
 それぞれのものにパスワードを変更し、忘れないよう別の紙に書いて張っておくとよいのですが、人に見られては台無しです。
 皆さんはどのような方法をとられていますか?(桜54)

家の管理(48:新しいテレビ)

7月14日(木曜日)
 小生宅には7台のテレビがあり数年前から地デジ対応に取り換えているのですが、未だ3台のテレビは買い替えをしていないのです。明日ようやく1台のテレビを購入し取り付けが行われます。2台は廃棄処分し1台は(使っていませんので)しばらくそのままにしておきます(後日変換機を取り付けます)。
 小生が初めてテレビと対面した(家庭に入った)のは高校3年時で、受験の最中でしたのでそれほど見た記憶はありません。また当時のテレビ放送は、朝夕(夜)の限られた時間帯でしか放送はありませんでした。しかも白黒の時代・ブラウン管の時代で現代人には不思議だと思われます。
 小生自身が初めてテレビを購入したのは東京時代(昭和43年頃)で、当時の価格は1インチ1万円もしていました。当時の給料が2万円少々でしたので、小型(13型)のテレビを買うのに数か月の金を工面する必要があったのです。また月賦販売も最初の頃だったと記憶します。
 今回購入するテレビ(32型)は37,000円くらい。当時に比べれば何と安い買い物だと思います。(桜54)

2011年7月13日水曜日

ゴミ回収(15:まだ先だ)

7月13日(水曜日)
 町内の資源ゴミ回収は来週の21日(木)で未だ1週間ほど先の話ですが、先月は雨に降られ紙類の回収が行われませんでした。
 よって各家庭ではその保管や処理に四苦八苦されているのではないでしょうか?
 小生宅でも、段ボールや新聞紙などは保管場所に困りつつあります。車庫の少ないスペースに押し込んだりまた自転車の上に積んだりと、あと1週間余り我慢しなければならないようです。
 雨に降られ濡れますと紙類はただのゴミと化したり、大量だと業者が持ち帰らないのです。最大3カ月溜ったことがあって、臨時回収日を設けたこともあったのです。
 今年は梅雨が早く来たりして曇雨天の日が多くあったため、搬出や保管に大変だったのです。
 さて来週の<回収日>はどのような天候になるのでしょうか?(桜54)

家の管理(47:拒否メッセージ)

7月13日(水曜日)
 小生パソコンメールを最近よく使うようになったのですが、まだまだ内容的、操作的に分からないことが多く戸惑っています。
 その中で、せっかく配信しましたメールが返信されたり、また受信拒否にあったりしている事実が判明しました。その全てが横文字(英文)で書かれていますので、小生には判読できないことが多いのです(学生時代もっと英語の勉強をしておれば良かった?!?)。
 さて今朝も受信メールを開けてみますと、不穏なメールが入っていました。所謂ミッシングメッセージです。だから解読不可能なので、今夜義息が来た時聞いてみなければなりません。
 年々年をとると、頭の中のギアチェンジが出来なくなったり、せっかく入れ込んだ資料が出てこなかったり、紛失したりと様々な弊害が起きつつあるのです。
 もう日本語さえ忘れかけているのに、外国語のメッセージはこりごりです。(桜54)

2011年7月12日火曜日

防災を考える(32:やっと来た!が・・・)

7月12日(火曜日)
 申請を出していました、電力及び電話会社の電柱掲示許可が下りました。
 昼前、工事担当業者を通じて申請を出していました書類の<許可が下りた>との知らせを受け、さっそく昼過ぎ当会社に行って許可書を受け取りました。
 受領書類を確認し、行政へ提出します書類の再点検も行いました。昨年同様多くの書類が必要で、写真や地図また住居表示や承諾書、また断面図・立面図を添えるのです。さらに警察署からの<道路使用許可書>等も必要なのです。
 その書類は厚さにして5mmを超えたのではないでしょうか?
 さてそういった書類が整いましたので、明倫校区連合自治会長と共に行政へ足を運び申請を行う予定です。生憎今日は、小生の母上殿の付き添いや、女房殿は女房殿で(女房殿の)母上の病院抜き添いがあり2人同時に家を空けることが出来ないのです。
 行政への申請は、明日以降早急に行います。(桜54)

健康管理(40:救急車)

7月12日(火曜日)
 今日は救急の日(9月9日)ではありませんが、小生宅近所に救急車が2回も来ました。
 早朝(未明)に小生宅角を曲がる救急車のサイレンで目が覚めました。しかしその救急車が小生宅を曲がって出て行った記憶がありません。他の道を通ったのかサイレンを鳴らさずに通ったのか定かでないのです。サイレンを鳴らさず通った場合には、死亡している可能性が高いと聞いています。
 また今朝起きた時点(6時20分頃)、小生宅前の方の救急搬送がありました。
 年々と高齢化が進む世の中、町内では高齢者だけの世帯や独居老人の世帯など、救急搬送を必要とする家庭(世帯)が増えてきました。
 特に独居老人世帯では、本人の意識があるうちは自分自身で連絡が出来るかも知れませんが、意識が無くなった場合にはそれこそ・・・。
 我が町内でも、死亡後2日して民生委員や家族訪問者の発見がありました。
 いろいろと難しくなった世の中ですが、1日1回は町内の者か家族の誰かが連絡を入れた方が良いですね。
 ちなみに小生宅では、女房殿の母上が一人住まい(独居老人)なので、夕食の持参と寝る前の連絡は欠かせません。心配ですからね!(桜54)

2011年7月11日月曜日

補導と指導(34:1日違い)

7月11日(月曜日)
 交通安全協会では、毎月10日と20日の日は<交通事故0>を目指して<街頭指導>を実施し、また通行禁止時間帯(07時00分~08時30分)の説明も行っています。
 明倫地区では、明倫橋たもとで朝の07時30分から08時30分までの1時間、理事さん2人交代で(10日及び20日が日曜日や祭日等に当たった場合には前日や翌日に変更し)その事業を続けています。
 ここ数年(小生が支部長になってから)は、この街頭指導日(10日及び20日)の違反車両が少なくなっていたのですが、今朝は何時もの指導日より1日遅くなっている関係か違反車両が多くありました。
 ということは、違反者はその<街頭指導日>を知っていたのか、又は何かの都合で多くなったのか分りませんが、どちらにしても<標識の見落とし>です。
 交通ルールを守って、事故の無いよう運転してください。(桜54)

宇和島を知る(36:客人を迎えて)

7月11日(月曜日)

 昨日昼前、大阪から5人の客人を迎えました。

 小生の母上殿の妹夫婦とその子供など5人の方なのです。妹夫婦等はすでに70歳代となられましたので、その子供が大阪から運転をしてきたそうです。

 昨日は宇和島に着くなり、薬師谷渓谷にあるそうめん流しに連れて行き、その足で水荷浦の段畑へ行ったのです。上の3人は何回も宇和島に来ていましたので足を運んだことがありましたが、子供たち夫婦は初めての地でした。段畑の美しさ、周辺の海の色、海に泳ぐ魚、遠くの山々、霞んで見える佐田岬半島等は珍しく見入っていました。また九州の見える地にも行きたかったのですが、時間不足で延期としました。

 夜は小生の妹たちが松山や市内から、また近くに居る小生の子供たち家族が全員集まり歓迎会をしました(約20名)。

 今日午前中はきさいや広場で買い物をし、和霊神社へ行って長寿と健康・家内安全をお祈りし、日本一の石の大鳥居、大絵馬等の見学を。

 たった2日(実質は丸1日)しかありませんでしたので、主な所や表面だけの観光でしたが、次に来られる時にはじっくりと、また釣りや遠出などのメニューも組み入れて宇和島の観光巡りをしていただきたいと思います。

 大阪からは高速道を使って6時間を切る速さです。便利になりましたね!(写真は帰阪時の写真です)

2011年7月10日日曜日

ゴミ回収(14:ポイ捨ての時代か?)

7月10日(日曜日)
 今日はいよいよ我が家に来客がある日です。数日来掃除や他の準備で大変でした。
 さて<ゴミの不法投棄>があちこちで長年問題になっています。しかしそれらよりも小さな出来事(ポイ捨て)は日常茶飯事となっていますが、それほど問題にはなっていません。
 小生は毎朝家の周りのゴミを掃き集めるのですが、その中で最も多いの(ダントツ)は勿論<たばこ(吸殻)>です。次には菓子やパンの空き袋、空き缶、・・・など。
 今では、人が見ていないと捨てる人がかなりいるようです。散歩の途中でよく見かけるのが上記の他に、ペットボトルや空の弁当箱、また鼻紙(ティッシュペーパー)があります。また大きいものでは、以前書きました自転車、タイヤ、傘、・・・。
 これらのものは故意的に捨てられたもの、すなわち<不法投棄>に当たるものなのです。道路上に散乱し時には危険にさらされる物もあるのです。
 一歩家から外に出ますと公共的な場所です。<自分さえ良ければ>という考えを捨てて、皆できれいな場所を提供しませんか?(桜54)

2011年7月9日土曜日

仕事遍歴(29:もう秋?)

7月9日(土曜日)
 昨日四国地方は梅雨明けとなり、今日は関東なども梅雨明けしました。
 さて今日は午後から気持ちの良い晴れ間がのぞき、まるで秋を思わせるような雲が出ていたのです。
 ある所から電話がかかり、<最近見たことの無い雲(レンズ雲)が出ているのだがあれは地震雲?>と・・・。でもそれは上空の風が強い時に出る雲であって<地震雲>とは関係ないのです。また飛行機雲も出ていたのですが、途中で切れていたのは上空に乾燥した空気層があったために雲が消散しつつある(消えてなくなる)状態だったのです。
 このようにいろいろと吟味しますと、まるで秋の空を思い浮かべるようですね。(夕方撮影の)写真の雲も気象をかじっている人ならば一瞬秋の空と勘違いするでしょう。
 それほど、梅雨明け後、一気に(上空には)乾燥した空気(気団)が入ってきた証拠です。でもまだ夏が始まったばかりですヨ。あと2ヶ月は暑い空気が入れ替わり立ち替わりで人間様を襲うでしょう!暑さに負けないよう頑張ってください。(桜54)

補導と指導(33:祭り警備は大変)

7月9日(土曜日)
 いよいよ<うわじま牛鬼祭り>が近づいてきました。
 当宇和島交通安全協会では、市内支部から数名を出して当日の交通指導警備に当たることになりました。例年のことながら夕方からの警備は大変暑いさ中なので大変です。
 各支部とも年々高齢化が進み拠出(警備)される人も老人ばかりとなっています。
 さてそのお祭りには、例年20~30万人の人出があり、踊りや牛鬼パレード時には大変混雑します。我が孫たちや子供たちは今年も、それぞれの団体から踊りに出て行くようです。
 小生自身も祭りには度々参加し、また警備や警護にも長い期間参加しました。
 今年も暑い夏となりそうなので、体調管理には十分注意され万全の態勢で臨んでください。(桜54)

家の管理(46:大忙し!)

7月9日(土曜日)
 明日明後日と大阪から親戚家(ウチ)が来宇される予定で、女房殿は数日前からいろいろの用意で<大忙し>です。
 裏に一昨年改造した家があり、その家にも今回1家族が寝て頂くようにしましたので、水道や電気の再通水(電)の手配、家内の掃除、駆除、布団などの用意、・・・etc.
 昨年秋に女房殿の母上が一時住まわれていましたが、その後半年余りは空家となっていたことから下準備が必要だったのです。空気の入れ替えなどは数日置きにやっていたのですが・・・。
 さてその準備もほぼ出来上がりましたので、明日にはお客様の御迎えです。
 駐車場の確保、食事の準備、観光や見学の下調べなどもほぼ出来上がりました。小生たちの子供家族や松山からも来る予定なので、総勢は20名に達するのではないでしょうか?女房殿は最初(事前)から最後(事後)まで大変です!(桜54)

2011年7月8日金曜日

健康管理(39:汗びっしょり)

7月8日(金曜日)
 昨日の最高気温は30度を少し切り、雨は一時降ったのですが割りとしのぎ良かったのです。しかし今日は朝から薄日が差して蒸し暑く、不快(感覚指数)が大きくなっています。ちなみに最高気温は32.8度、最小湿度は57%を記録しています。
 さてその中を用事のついでに散歩をしました。
 昨夕小生宅前で中学生が爆竹を鳴らし逃げ去った事象がありましたが、その後その爆竹が落ちていましたのでそれを警察に届けました。といってもその爆竹は家で処理できないのです。不用意にゴミの中に入れて、爆発でもしたら責任問題にも発展しかねないのです。警察署を後にし、次は番城公民館へ行きました。来来週会議を開きますのでその時の鍵借用の件なのです。
 そういった一連の行程と共に散歩しましたので、蒸し暑さと長距離で身体は汗でびっしょり濡れました。今夜の酒はうまいかも知れませんね。(桜54)

補導と指導(32:エスカレート)

7月8日(金曜日)
 昨日夜(19時20分頃)、突然小生宅前で爆竹の音が響きました。小生宅には子供たち夫婦や隣の孫たちも居たのですが、突然の激しい爆竹の音にびっくり!
 例の悪がきの悪戯のようです。中学生の男女5~6名が自転車に二人乗りをし、悪戯まがいの行動を起こしたようです。
 すぐさま警察に連絡を入れますとすでに別の所(人)から連絡があったようです。直ぐパトカーが来てその中学生を探しましたが、もうすでに遅し!蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていました。
 近所に住んでおられる中学校の先生が小生宅に来られ、詳細を聞かれましたがそのいきさつ等は不明です。小生自身その爆竹音で窓から顔を出したに過ぎないのです。
 そういった悪戯等が次第に小生宅付近に押し寄せ、また悪戯の度合いも少しずつ激しさを増しているようです。本当に何とかならないのでしょうか?(桜54)

2011年7月7日木曜日

桜開花観測(56:クリーン作戦)

7月7日(木曜日)
 各所で青葉の季節となっています。落ち葉の季節にはまだまだ先の話なのですが、宇和島市では例年通り夏場に、市内全域を対象として<クリーン作戦(8月7日07時から)>と銘打った市民大清掃の日があります。
 我が桜観測隊もこのクリーン作戦に毎年参加していて、丸山公園の桜標本木を中心とした場所の清掃活動を行っています。先日市の担当課に参加の意思表示(参加申し込み)をし、本日関係課を通じて当日の参加者や保険加入などの諸事依頼が来ました。
 早速観測隊員にその旨を伝え、また来週には関係課に連絡を入れなければなりません。桜標本木周辺は散策に訪れる人が多くまた球場近くであることから、なお一層清掃活動は密にしなければならないのです。
 市民団体のみならず一般の参加者も募っていますので、ぜひご参集ください。(桜54)

宇和島を知る(35:海の恵み)

7月7日(木曜日)
 今日は七夕、しかし生憎の曇雨天の日となって天の川は見えそうにもありません。
 上の孫が、部活での練習があるとかで早々に登校しました。
 さて昨日、あるお方から海の恵みを頂きました。宇和島では当たり前の出来事かもしれませんが、海の産物(魚や貝・海草など)のお届けものが度々あります。小生も以前釣りで大量に釣れた時や、沢山貝が採れた時にはご近所へのおすそ分けをしたことがありますが、昨日はわざわざ遠くから持ってきていただきました。有り難いです。
 早速夕食の席に上がり、小生の口には酒の肴として胃の中に入りました。とても美味しく頂けました。
 宇和島は海に面していることから、多くの海産物が採れます。また養殖漁業も盛んで、魚や真珠など日本有数の漁獲高を誇っています。そういった海の幸は人間にとって最も重要な栄養素を取り入れる源なのです。
 今回の東北の大震災で大打撃を受けられた東北地方の皆様、海の幸は限りなき資源です。復興の糧となる<幸>が沢山眠っていますので、<再開>を期待しています。(桜54)

2011年7月6日水曜日

防災を考える(31:新たな標示板?)

7月6日(水曜日)
 今朝の愛媛新聞によりますと、国土交通省四国地方整備局が南海地震等に備え、津波からの避難時に役立てようと沿岸部にある国道等に海抜を示すシールを設置すると発表し、<全国初>と銘打っていました。
 しかしながら、小生地区の校区自治会や行政では、また他の県(高知県?)では既にこのようなシール(小生地区では<津波高標示板>という。)を設置しているのです。表示方法や形は異なっても同じ高度を示す標示板なのです。
 明倫校区自治会では、今年度も新たに20か所の設置を予定して現在申請中です。
 一方校区内の公民館では、地域住民の方に周知すべく、津波高標示板の内容を説明した記事を掲載する<館報>を作成中とのことです。
 今話題となっています、地震や津波に関することはかなり関心度が高いので、いろいろな角度から啓発すると良いですね。(桜54)

補導と指導(31:見守り隊)

7月6日(水曜日)
 今日も前線の影響で早朝から雨が降り出しました。また、午後からは雷を伴って強い雨が降りそうです。
 さて昨夜、当明倫校区内の<見守り隊>の総会があり出席しました。学校関係者、育成会及び地域団体のメンバー(長)など約25名の方の参集があったのです。
 最初に学校側から、近年生徒間(同じ学校及び他校生徒)とのトラブルや、学校内外(友達の家や公園など)でのトラブルの発生が目につくようになったそうです。また学校内での損傷事故も表面化しているようです。
 そういったことで教師の危機管理が問われているようなので、改めてそういった問題を取り上げ<見つめ直して行きたい>との発言がありました。一方で校区内の危険個所の把握や、情報の交換など人の五感(目や耳など)を生かしての活動も重要であるとの認識が強まりました。
 近代人は、<他人は何をする人ぞ!>の行動が見られますので、出来るだけ外に顔を出して、地域住民のみならず子供たちとの接触を含めて、多方面からの五感を駆使する必要がありそうです。皆で協力し合えばきっと校区内は明るくなると思います。(桜54)

2011年7月5日火曜日

畑の管理(17:ノンストップで)

7月5日(火曜日)
 昨夜来の雨は早々に上がり、起きた時には太陽が出ていました。
 腰の方もまあまあでしたので、先日畑の周囲だけ済ませた残りの草原化(40cm前後の草)を刈るべく、奮起して畑に行くことにしました。
 今回は刈払機の刃も購入しましたので切れは良かったのですが、上記のように草がかなり伸びていたのと茎が大きくなっていましたので、回転部分に何度か絡まってエンジンを止め処理しなければなりませんでした。
 そういった状態で作業をしましたので、1反の畑全ての草を刈るのに3時間余りかかりました。
 ノンストップで作業を行いましたので、作業中はそれほど腰の痛みが無かった(気にならなかった)のですが、バイクで帰る途中から腰が痛くなり、帰宅後椅子に座るとなお痛くなったのです。
 夢中になって作業をしている時は何事(痛み)も忘れ、ハッと我に帰るとそちらに気が行って痛くなったりするものですね!でも今日の畑作業は満足しましたよ!(桜54)

補導と指導(30:放置自転車)

7月5日(火曜日)
 昨日午後近くにある集会所付近に、数日前から放置された自転車を再確認し警察署に届けました。
 その自転車は黄色で、止錠が2か所、また防犯登録無し、という形態の自転車でした。
 今朝早く警察署から連絡があり、<防犯登録がされていないので持ち主が分かりません>、また<盗難届も出ていません>、しかも<市道なので・・・>ということで警察では処理が出来ないそうです。
 よって市道の担当である市担当課に連絡を入れ、対応していただくようにします。
 近年このような放置自転車が多く見られることがあるそうです。<防犯登録をしない>、<盗難にあっても警察に届けない>、<安価で購入できる>といったことから、今では備品ではなく消耗品扱いとなっているようです。
 小生たちが小さい頃には、自転車さえ1家に1台もなかったのです。今では1家に車が1台以上、自転車であれば1人に1台の割合のようです。ちなみに小生宅(隣家の娘宅を含む)では、自転車が合計7台もあります(置き場所に困ります)。
 もの(物品)が豊富にありますと、その価値観が次第に薄れるようですね。(桜54)

2011年7月4日月曜日

健康管理(38:90%以上?)

7月4日(月曜日)
 昨年暮れから左肩の炎症(凍結肩)はどうやら完治間近になってきました。
 当初は左腕が水平以上に上がらず、また少し腕の向きを変えると痛みが走っていたのですが、その後病院での治療や家でのリハビリ・体操の効果でかなり良くなりました。
 最初のうちは腕の上げ下げは勿論出来ず、また左肩を下にして寝ることすら出来なかったのですが、今では左右どちらの肩をを下にしても、また腕を上下左右に動かしても痛みや違和感はほとんどありません。よってほぼ90%以上完治したのではないかと思っています。
 「通常2年はかかりますよ」との診断でしたので、やはり腕や肩を動かしたのが良かったのかも知れません。
 一方腰の方はほとんど変化はありません。いくら接骨院に行っても、整体に行っても、また整形外科等あらゆる所に行ってもほとんど<治る>という変化はないのです。今では痛み止めの薬を飲んでなんとか動いている状態です。いろいろな人から治療方法を教えていただいてはいるのですが・・・。もう90%以上治らないのでしょうか?(桜54)

日本の苗字(12:ク-ヤ行)

7月4日(月曜日)
 今日は北から前線が南下してくる予想なので、午後からは雨が降り易くなるそうで孫たちは折り畳み傘を持参して登校しました。
 さて上記行では、今のところ2つしか苗字を確認していません。
 その苗字とは、<久家(クヤ)>と<久山(クヤマ)>だけなのです。小生の部下には、この<久家>と書いて<クヤ君>と呼んでいました。珍しい苗字だったことを覚えています。
 <久>という漢字は、<ク>と読む場合が多いのですが、以下に続く字は<カ行>や<サ行>が多くあり、<ヤ・ユ・ヨ>と続く苗字がほとんどないのです。
 また<久>は、<ヒサシ>と読んだり<ヒサ>と読んだりする場合もあるようです。(桜54)

2011年7月3日日曜日

学習してみよう(18:文化講座)

7月3日(日曜日)
 今日は宇和島市の文化講座の講師として、歴史資料館において受講生約40名を前に1時間40分ほど講義を行いました。
 参加者はほぼ60歳から70歳までの高齢者で女性が多く(6割)、しかも受講態度が熱心な方ばかりでした。
 講義内容は、気象を作る過程から始まって、地形との関係、宇和島の気象、また経験した主な気象現象を前半話し、10分の休憩後は、地震や津波について<東北大震災>や近い将来起こるであろう<南海地震>について話しをしました。
 宇和島周辺では、海岸変形(リアス式海岸)の影響、予測された南海地震よりも大きな地震が起こった場合、また津波の恐ろしさを体験談を交えて話しました。
 講義終了後場所を旧宇和島測候所露場に移し、機器の説明も行いました。
 数人の方からは、話し方や内容に変化があり<面白かった>とか、<勉強になりました>などの後談が聞こえました。(桜54)

宇和島を知る(34:あと3週間)

7月3日(日曜日)
 あと3週間で<うわじま牛鬼祭り>が開催されます。
 例年大祭期間中は20~30万人の人出があります。
 その昔内港には、近郷近在の漁師さんが船に大漁旗をなびかせ参集され、漁を休んで神社に大漁祈願などをされた時代もありましたが、近年では大漁旗や船の姿はほとんどなく港はかなり寂しくなりました。
 一方では、牛鬼祭りにふさわしく大小様々な牛鬼が二日間に渡って登場し、商店街から和霊神社までを練り歩きます。
 小生たちもその昔は、地元自治会の子供たちを連れて参加したこともありました。また仕事を休んで参加したこともありました(写真は小生宅に掲示したポスターです)。
 昔のお祭りと最近の祭りとはかなり様変わりしましたので、小生たち(準)高齢者は昔の祭りを懐かしんで語り合う時もありますが・・・。(桜54)

2011年7月2日土曜日

宇和島を知る(33:平浦へ)

7月2日(土曜日)
 10日頃大阪から小生宅にお客さんがお見えになり、<宇和島で釣りがしたい>ということで午後海等の様子を見に行きました。
 バイクで宇和島市内(小生宅)から西に向かって来村川を渡り、高速道の下を通ってまず海岸(大福浦=オブクラ)に出ました。
 海は干潮とあってかなり潮が引いていましたので、海岸線は海底の岩が出て海草などが付いてやや汚く感じました。また夏場の海は年間で最も汚れていますので、なお違和感が生じたのかも知れません。
 宇和島湾頭にあります<九島>付近では水が少しきれいになっていました。その近くの波頭(堤防)で釣りをされていましたので覗きますと、小さな鰺(豆鰺=ゼンゴ)が(サビキで)釣れていました。
 そこから海岸線を少しずつ南に走り<平浦>という所に行きますと、我が虹色ツーリズムの会長宅がありました。会長宅は写真のように漁家民宿を営まれているのです(写真上)。
 さてその平浦は波静かな湾になっていますので、多くの真珠筏があります(写真下)。勿論会長宅もこれに携わっておられます。
 さてあちこち釣り場を探してみましたが、日中はあまり釣れないのか釣り人はほとんど見かけませんでした。

 大阪から来られる人は、<釣り糸を垂らすだけでも良いよ>と言われますし、また<釣れたら小さな魚でも良いよ>と言われていますので、先の豆鰺(ゼンゴ)釣りをしようかと思っています。
 来週は昼間が満潮頃となりますので、ひょっとすると沢山釣れるかも知れませんよ!どのような釣果となるのか楽しみです。(桜54)

桜つれづれ日記(44:あれがしたい!)

7月2日(土曜日)
 昨夜大阪から電話連絡が入りました。
 来週の日曜日(10日)に大阪から親戚うちが5人ほど、母上殿の妹夫婦等が久々宇和島の地を訪れ、母上と歓談したり宇和島を満喫して帰るそうですが、その時<宇和島に行ったらまた魚釣りがしたい>とのことで急きょ小生の所に電話が入ったのです。早速虹色のメンバー等に連絡を入れて様子を探ってみました。
 小生も退職まではあちこちを釣りに行って、宇和島の釣り場や情報を集めていたのですが、近年は腰痛の関係でもう5年も行っていないのです。
 そういった状況なので、<今どのような魚が釣れている?>、<どの場所が釣り易い?>、<何時の時間帯が良い?>など、以前とは違っている可能性があるからです。
 時間があれば、以前行っていた場所などにも探りを入れてみなければならないでしょう。
 この他、都会人には目にしない場所なども探してみるつもりです。(桜54)

2011年7月1日金曜日

家の管理(45:網張り)

7月1日(金曜日)
 今日も午前中一時雨が降りその後少しずつ天気回復しましたが、湿気が多くかなり蒸し暑く感じました。その中で汗をかきかき網戸の張り替え作業を行いました。
 2F出窓の網戸の下が少し破れていましたので、女房殿が「張り替えてほしい」と先日言っていました。しかし中々その気になれなかったのですが、今日ようやく重い腰を上げて張り替え作業を行いました。小生宅には色々の作業道具がありますので、比較的簡単に作業が出来ました。
 網戸を一旦降ろして中枠からパッキン用のゴムを取り除き、棚にあった網戸用の網を端から順に引き延ばしながら均等にパッキンゴムと共に敷き込んで、最後に余分な網を切り落とせば出来上がりです。
 その作業に必要なローラーや裁断鋏は備えてありますので、作業時間は20分ほどで終りました。
 昨日の農作業といい、今日の網張りといい、夏場に汗をかいて風呂上りのビールはうまいかも知れませんね!楽しみです!(桜54)

畑の管理(16:草原化?)

7月1日(金曜日)
 昨日女房殿を連れて久々畑に行きました。
 未だ腰の調子が良くありませんでしたので、作業はしないつもりで行ったのですが、写真のように草丈30cm前後となっていて、周りの田んぼ(畦)とかなり違和感が生じていたのです(写真は草原化した畑と畦:左端に馬鈴薯の苗が!)。
 早速畑の管理者宅に行って、草刈り機を持ち出し「周囲だけでも」と思って草刈りを実施しました。
 1反ありますので周囲だけでも草刈りを実施しますと小1時間かかりました。でも作業後は何とかきれいになりましたヨ(生憎写真はありません)。
 小生が草刈りを実施している間に、女房殿は芋や馬鈴薯の畝間の草抜きを実施したのですが、写真のような草なのでなかなか進んでいませんでした。ようやく1畝半ほどが終わったでしょうか?
 馬鈴薯には真っ白い花が咲いていました。この馬鈴薯は管理者に頂いた種イモから出来たもので<男爵>と言う種類だそうです。花が咲き、葉が枯れ始めると立派な馬鈴薯が出来るのです。
 雨が上がれば2回目の草刈りを実施する予定です。(桜54)